慈恵病院:こうのとりゆりかご

baby drop off post


presenting stork's cradle

ワールド・キャンパス・インターナショナルでの活動を通して、私たちが体験するものはいろいろあります。ある時は楽しい活動であり、そしてある時には真剣に考えされられるものです。今回訪問した慈恵病院は、命について真剣に考えさせられる場所でした。

この慈恵病院は、日本で唯一の匿名で子どもを、預けることが出来る施設です。

この日の午前中は、1)十代の妊娠、2)両親の責任、3)科学と宗教、という三つのグループに分かれて様々な角度から倫理的な話をグループに分かれて行ないました。世界各国から参加している私たちと、熊本市在住の日本人の学生なども参加して、様々な考えや思いを聞くことが出来きました。これらのテーマに関するそれぞれの国の法律、実際にどのように機能しているのか、同様のシステムが他の国に存在するか等、非常に有益な時間を過ごすことが出来ました。

午後は、慈恵病院にて「こうのとりゆりかご」の説明や質疑応答の時間を設けてもらいました。この中で、「こうのとりゆりかご」を作ろうと思った理由やその背景を伺うことが出来きました。院長は、テレビや新聞で報じられる中絶というニュースを聞いて、とても悲痛な思いになったそうです。そして、同様の施設があるドイツへ視察に行き、2007年に熊本に「こうのとりゆりかご」設立しました。この施設は、子どもを育てることが困難な両親にとっての最後の選択の場です。院長は、自分の子どもを自分で育てることを強く望んでいます。その為に、「こうのとりゆりかご」に子どもを預けた後でも、また預ける前にも、両親に対して希望があればいつでも相談にのる体勢を整えています。

私は、この「こうのとりゆりかご」を見学して、子どもと両親の命を救う場所であると思いました。

アマンダ(ノルウェー出身)

大村からこんにちは

All in the family


All in the family

大村は青い空、梅の木、花々に囲まれて本当に美しいところでした。大村は美しい自然に包まれたところではなく、そこにいる人々の優しさや温かい笑顔、それに本当の子どものように受け入れてくださったホストファミと出会えたところでした。

このツワーの訪問地である大村で私は、忘れることの出来ないヤマモト・ホストファミリーにお世話になりました。ヤマモト一家は、初めての外国人の受け入れにも関わらず、私の訪問を心から歓迎してくれました。ヤマモト一家に到着した日から、私は家族を「お父さん」、「お母さん」と呼び、皆も受け入れてくれました。

初日の夜、私は歯ブラシをケースの中にしまって洗面台においたら、次の日の朝に、家族の歯ブラシたての中に私の歯ブラシも一緒に置いてありました。それを見た時には、とっても嬉しかったです。毎日、家族の皆と一緒に話しをしたり、ジョークをいったり、絵を描いたりした思いでは本当に楽しかったです。

大村を出発する前日には、ありがとうイベントがありました。ステージの上でのヤマモト一家へのインタビューの後、私がホストファミリーへの感謝の気持ちをこめてスピーチをしました。冷静を装おうとしましたが、嬉しさがこみ上げてきて、頬から涙がこぼれてきました。ありがとうイベントの後には、サプライズのイベントとして、私のホストマザーへの誕生日もしました。お母さんをステージの上へ連れてきて、皆で誕生日の歌を歌いました。ここでも、感極まって涙が自然とわいてきました。お母さんの大好きなオレンジ色の花、ユリの花、私の好きなカーネーションをプレゼントしました。本当の家族の一員のように迎え入れてくれたヤマモト一家、本当にありがとうございました。一緒に過ごした楽しい日々の思い出を決して忘れません。また、会いましょう。

グレイス(カナダ出身)

こころに残る思い出:ふれあいイベント

Fureai event


Fureai event: simple interactions make all the difference


Fureai event

ワールドキャンパスのプログラムは常に、今まで体験したことのないようなことが待っています。ここ大村でも、心に残る特別な「ふれあいの集い」のイベントが待っていました。

「ふれあいの集い」は、毎年大村で開催され、身体障害者などが人とふれ合うことを目的にしたものです。この日は約650人を超える人が集いました。

僕らの仲間ワールドキャンパスのメンバーも参加し、歌や踊りで会場にいる皆と盛り上がりながら、楽しい時間を過ごしました。音楽は僕らの心の中にある障害者と僕らの間にある「壁」を取り除いてくれる道具でした。ふれあいの集いに参加した皆が、音楽のリズムに合わせて一つになりました。

その後、皆でゲームをしました。名刺交換をしたり、歌や踊りを一緒に踊りました。最後には、大村のカントリー・ジャズ・オーケストラの皆さんの生演奏も聴き、とっても楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

僕は、障害者の人々の楽しそうな笑顔を見た瞬間に、自分自身もとっても楽しくなりました。このふれあいの集いを通して僕は、笑顔とかそういうちょっとしたことでも、人に影響を与えることが出来るんだっていうことが、分かりました。

ヨハネス シン(インドネシア出身)

弓道

kyudo masters & guests


kyudo

皆さんこんにちは。私はトルコ出身のブルージュです。今日は大村市で私たちが体験した弓道についてレポートしたいと思います。弓道は、日本の国技の一つであって、弓を引き、的に向かって矢を撃つというものです。弓道では道着を着用します。私は、手にはめる手袋がとても気に入り、先生に下さいといいましたが、ダメと断られてしまいました。

弓道のポイントは、動きにあると思います。先ずは正しい体勢を取り、弓を十分に引き、溜め、そして矢を放します。

短い間でしたが、とてもリラックスすることができ、多くのメンバーは的を射止めることができました。的を射止められた時はとてもスカーットしました。メンバーの日本出身のノゾミとアメリカ出身のジェイクは対戦もしていました。

最後には、とてもかわいい手作りのポーチをプレゼントに頂きました。もちろん、いつもどおり、僕らはこの体験を大いに楽しむことができ、大満足の時間を過ごすことが出来ました。弓道の指導をしてくださった先生、準備をして下さった方々、本当にありがとうございました。

ブルージュ(トルコ出身)

被爆体験者の講話

Nagasaki Atomic Bomb survivor


長崎市の原爆資料館及び被爆体験者の講話を伺ったこの日は、メンバーにとって考え深く、決して忘れることが出来ない日になりました。被爆体験の講話をしてくださった吉田勝二さんは、原子爆弾が投下された1945年8月9日、当時13歳の時に、爆心地より850メートルのところで被爆しました。

学校へ通学途中に、爆弾が投下され、その時の爆風で彼は40メートル飛ばされ田んぼの中に投げ飛ばされました。彼は四ヶ月間もの間、意識不明の状態であり、病院での診察を受けていました。彼の両親は、彼を探し出す為に瓦礫の中を歩き回り、それによって大量の放射線を浴び、結果的に亡くなってしまいました。今日彼のように爆心地より1キロ以内の屋外で被爆し生き残っている人は殆どいません。

吉田勝二さんは、当時生きる希望を持つことをためらっていました。それは、彼が体全体に追った傷があまりにも目に余るものであったからです。右の顔や腕は、皮膚が完全に燃焼し、中から筋肉が見えていたといいます。手術の傷跡、及び火傷の跡による黒々とした顔によって、彼は周囲の人々に笑われたといいます。

今日も、吉田勝二さんは長崎原爆病院及び長崎大学病院整形外科で、治療を受けています。彼は二度とこのようなことを起こさないためにも、当時の出来事を人々に語り継ぐ語り手として自らの被爆体験を語り続け、「平和の原点は人間の痛みがわかる心を持つことです」というモットーを人々に広げ続けています。

レイチェル(スイス出身)